勉強会「ケアを担う若者たちの声を聴こう!(2019年11月30日開催)」のパネラーとして下記の体験談をお話しいただきました。

ヤングケアラー体験談「祖母のケアを担った10年」

神谷尚樹さん(元ヤングケアラー)

神谷さんが小学4年生の時、祖母が左大腿骨を骨折した。以降、杖が欠かせない状態になった。さらに6年生の時に脳梗塞を起こし、退院後に認知症を発症した。物忘れが進行し、財布をなくす、薬を飲み忘れる、ガス台の火を消し忘れることが増え、神谷さんの生活は一変した。

下校後は、自宅から徒歩2分の祖母の家で過ごす毎日が始まった。食事の準備や通院に付き添った。デイサービスの準備や服薬管理もした。入院の際には入院準備や保証金を支払い、ケアプラン更新時や要介護認定の立ち会いもした。母とは生き別れ、年の離れた姉は仕事を理由に介護を担う事はしなかった。

結局、仕事で不在がちな父に代わって一人で祖母の世話をしていた。

中学に進むと祖母の認知症の症状は進行し、ご飯の催促を頻繁に携帯にしてくるようになった。近所に、孫と息子にお金を盗られたと言いふらすこともあった。認知症の影響からか怒ることが増えた。

高校に入ると祖母の状態はさらに悪くなった。食事をしたことや薬を飲んだ事も忘れるようになり、夜中に電話してくることが増えた。ベッドから転落し圧迫骨折した時は痛み止めを飲んでも効かず、深夜に何度も救急車を呼んだ。

高校3年の時には排泄介助もした。大学受験が迫った頃も、夜中に何度も携帯が鳴った。当時が一番辛かったと、神谷さんは話した。

大学1年の時、祖母は自宅で転んで動けなくなり施設に入所した。95歳だった。

神谷さんの約10年に及ぶ介護生活が終わった。祖母は入所後表情が穏やかになり、体重も10㎏ ほど増加し、施設で楽しく過ごしているという。

小学校4年生から始まった祖母の介護だったが、多くの人に支えられた。学校の先生たちは、よく相談に乗ってくれた。介護で遅刻した時も、学習面での遅れが出たときも力を貸してくれた。

介護に来るヘルパーは、神谷さんの好きな料理を作ってくれたり、体操服や上履きを洗濯してくれることもあった。認知症の祖母に、どう接したら良いかも教えてくれた。ケアマネジャーは、祖母の急変時は真っ先に来て面倒をみてくれた。経済的な負担も考慮し、介護プランを考えてもくれた。そんなまわりの支えがなかったら、祖母の介護は一人では続けられなかったと神谷さんは話した。

最後に、ヤングケアラーへの支援として望むことは、「自由に使える時間を保証して欲しい」、「教職員や福祉関係者、親にヤングケアラーについて知って欲しい」、「ヤングケアラー同士が出会える場が欲しい」、「介護保険外のサービスを使用した時の助成をして欲しい」、「受験や就職活動時のサポートが欲しい」ということだった。

自分の経験を話すことで、ヤングケアラーついての理解が深まり、支援が充実していくことを願っていると、神谷さんは話を結んだ。